願望2007-07-07 Sat 22:49
毎月恒例のものに参加してきました。
世界は、これまで思っていたのとはちがう動き方をしているのかもしれない。 青年は、自らに課せられた使命を思うと、そう思わざるを得ない自分に苦笑するしかなかった。 「何にも知らないあの頃のほうが、幸せだったのかもしれないな」 そう口に出しては見るが、それはもう叶わないことだ。 そうやって過去のことを振り返ることができるのは、「何も知らないでいた自分」を知っているということだ。 知識を得た自分が無知であった頃の自分を憂いている時点で、記憶喪失にでもならなければ過去の自分になど戻れないことくらい、第三者でも指摘できること。 知識というのは語弊があるかもしれない。正しくは感情というべきか。 一度知ってしまったらもう後には戻れない。 だから今更憂いたところで、今の自分の境遇に何ら変わりはないのだ。 「相手が悪かったんだ。別に今生の別れっていうんでもないんだろ? 元気だしなよ、兄ちゃん」 川辺で呆けていれば、通りすがりの者が何の慰めにもならないことを言っては、青年の背を叩いて去っていく。他人事だからそんなことが言えるのだ。どいつもこいつも。 「あんたも王子様になりゃいいんだよ」 ある時などは、そう言って青年の周りをぐるぐると周る男がいた。 「は?」 「王子様さ。俺がいつか見た王子様」 男は何が面白いのか、青年の周りを走り続けた。 「金髪で、年端もいかないかわいい少年だったよ。なんでも広い世界を見てみたいと言って、家出してきたんだそうだ。だがやっぱりホームシックになっちまったんだろうなぁ。残してきた大事なひとがいるからってんで、無茶な方法でかえって行っちまったのさ」 「無茶な方法?」 「おうよ」 男は息も切らせず青年に言った。 「自分の体を置いて、身軽になってかえっていったよ」 「帰れ」 青年が一喝すると、男は「うひゃあ」とまるでマンガの台詞のような悲鳴をあげてすっとんでいった。その背中に向かって中指を突き立ててやりたい気分だったが、やめておく。 「そうしたい気持ちもなくはないけど」 青年は苦笑する。 「君を抱きしめる体を置いて行くのはごめんだよ」 だからこうして、おめおめと生きてる。 その日は朝から機嫌がよかった。 いつものように川辺に座っていると、青年の表情を見た道行く人が、ああと声をあげて、青年に微笑みかける。 「今日かい? よかったねぇ」 「ああ」 青年も笑顔でそれに答えては、にこにこと川の向こうを見やる。 「人は年をとると、一日があっという間だなんて言うけれど、僕の一日は百年に値するね。この日が来るのをどれだけ待ち望んでいたことか」 「そろそろあの人も、あんたたちのことを認めてあげればいいのにと思うよ」 青年に声をかけてきた女は、溜息をついた。 「周りに目が向かなくなっちまうのは、あんたたちくらいの年齢じゃ仕方のないことじゃないか。それなのに」 「要はね」 青年は川から目を離さずに答えた。 「あの人は結局、子離れができていなかったってことなのさ。まだまだ手元に置きたいんだろうね。彼女は機を織るのがとても上手だったし、自慢の娘だったんだろう。僕に会うまでは親に反抗ひとつしたことがなかったって言うんだから、僕は憎まれて当然さ。僕と出会って機を織ることすらやめてしまったんだから」 「あんたもよく働くって評判がよかったじゃないか」 「ああ、まあね。彼女と会うまで、牛を追うことしか知らない哀れな男だった」 「そんなことはないさ」 「いいや。今思えばつまらない人生だったと思うよ。僕は彼女に会うまで、何かを美しいと思ったことはなかったんだからね」 青年は照れることなくそう言うと、にやりと笑って見せた。 「まあ、いくら嫌がらせをされてもね、彼女が僕のものだという事実に変わりはないんだから、僕は案外余裕だよ。いずれあの人はいなくなる。それを思うだけで、黒い気持ちでいっぱいさ」 それを聞いた女は、辺りを伺いながら早足で去っていく。青年は声をあげて笑った。 「いい加減僕も、強くならなくちゃね」 川向こうから走ってくるその人を見つけると、青年は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。 「元気だった?」 伸ばした手に自らの指を絡めながら聞いてくるそのひとを見下ろし、青年は少し意地悪な気持ちになった。 「君に会えない時間、僕が元気だったと思うのかい?」 「あなたったら、どうしてそんなにひねくれちゃったのよ?」 「君のお父さんに言ってくれよ。善良な若者を不良にしたのは、間違いなく彼だ」 彼女はくすくすと笑いだす。青年は改めて、美しいひとだと思う。 「このまま君とどこまでも行けたらどんなにいいかと思うよ」 「そうね」 ふたりはかなわぬ望みを口にしては、一時の安らぎに心を震わせる。 並んで川辺に座っていると、やがて大量の紙片がさらさらと流れてきた。 「ああ、今年もか」 「ええ」 川を覆い尽くすほどのそれらを眺め、ふたりは沈痛な面持ちだ。色とりどりの紙片は、まるで魚のようにも見える。 「……君のお父さんは、最近どんな感じ?」 「んー、相変わらず。意地になってるんだと思う」 彼女はため息をついて、こてんと青年の肩に頭を預けた。 「意地か」 「そう。ここまで来たら、もう後には引けないんだと思う」 「……ま、わかるけどね」 青年はそう言うと手を伸ばし、流れてくる紙片を一枚つかんだ。 『せかいじゅうのひとたちが しあわせになれますように』 「うわっ」 「あー」 紙片に書かれた文面を読むなり、ふたりはがくっとうなだれた。 「よりにもよって、すごいの引いちゃったね」 「これから忙しくなりそうだ」 顔を見合わせ、肩をすくめる。 「でもこれを叶えたら、君のお父さんも僕らのことを、許してくれるんじゃないかな」 「どうだかね。何しろ頑固な人だから」 「ははは」 青年は紙片をもう一度眺めた。 「だけど、そろそろこの状況にも飽きてきたところだからね。ちょうどいいかもしれない」 「……そうね」 青年は立ち上がった。 「僕らがまだお互いを知らなかったころ、僕らは世界が変わることを知らなかった」 彼女も、青年が差し出した手をつかんで腰を浮かせる。 「一年に一度しか会えない今ですら、世界はこんなにも変わり続けている」 「ええ」 「僕らも自分の力で、世界を変えていこう。もう動いていく世界を追うのはこれっきりだ」 「でも、このお願い事を叶えるのは大変そうよ」 「任せてよ」 不安そうな彼女を安心させるように、青年は微笑んだ。 「僕はその方法を探すために、君のいる宇宙の反対側の川岸に、ずっと横たわっていたんだ」 |
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